Hotel's Stories
  十五年目の陽光  
  Chapter.2  
   
  「いい景色や」大きく頷きながら良之がそう言った。
「こんないいチャペルに入れてもらって、いい記念になったな」
仕事が忙しい時など結婚記念日を忘れてしまうこともあった良之にしては、
珍しい言葉だと和美はちょっと驚いた。
「今日は何かの記念日でいらっしゃいますか」
木元がソフトでいて、はっきりとした声で尋ねた。
「ええ、結婚記念日なんです、15年目の。その記念旅行です」
「それは、おめでとうございます。
大切な記念日を当ホテルでお過ごしいただいて光栄です」 気持ちのこもった笑顔でそう言うと、 「そうだ…」と木元はチャペルの後ろに向かって歩き出した。
 
   
   
   
  どうしたのだろうと二人が見つめる中、扉の脇にあるロープに手をかけ、
「結婚15周年をお祝して」グイと引っ張った。
カーンカーンと高らかな鐘の音が響く。
音の方を振り向くと、ガラスの壁の向こうに空と海を背景に鐘が揺れていた。
秋空のブルーに溶けていく鐘の音を聞きながら、和美は胸が熱くなった。
 
   
  鐘の音を思い出すとまた胸が熱くなってくる。
赤い太陽が海に近づくにつれて、水が燃えていく。
さっきは照れ隠しに、わざと素っ気なくふるまう良之の前で
和美も何気ない態度を心がけた。
自分たちのために鳴らしてもらったチャペルの鐘の音にはしゃぐ素振りなんか見せたら、それでなくても照れている良之が、年甲斐もなくと憎まれ口をきくのは分かっていた。 今は、このロマンチックな情景の中で一人。
照れたり遠慮したりせず、好きなだけ感慨にふけってもいいのだと思う。
 
   

和美と良之は大学のサークル時代から仲間うちでも気の合う方だった。
二人が結婚すると決めた時、仲間のみんなにいい組み合わせだと言われた。
和美自身もそう思っている。
良之をパートナーに選んだことについての後悔はただの一度もない。
それどころか彼を選んでよかったと思っている。ただ、時々どうにもやるせなくなる。
そのやるせなさがマグマになって、和美の胸の奥で時折うごめく。
それがあの午後のギラギラとうねる波のように、感情を揺らすのだ。 
凪いだ海が、空から落ちてくる夕焼けに染まっている。
自分でどうしようもないことを気にしないと決めて気に病む。
やるせなさの種を拾っていく自分を振り返り、和美は心の中で呟く。
「この海みたいに、赤く燃えながらも、静かに落ち着く日が来るんだろうか」と。

海の夕日

結婚して4年目、37歳の時、和美は不妊の診察に行った。
結婚して3年が過ぎたころから、妊娠の気配のないことに気持ちが落ち込みはじめた。
早く子どもをと焦る和美を幼馴染みが励ましてくれた。
「私なんて結婚してから11年も待ったのよ」
彼女は短大を卒業してすぐに結婚したが、32歳まで1度も妊娠しなかった。
「まだ、大丈夫。あんまりイライラくよくよしたら、よけいに子どもが逃げちゃうよ」
そう励ましてもらって少しの間は、気持ちが強くなった。
ストレスでホルモンバランスが崩れるとかえってよくない、
思いつめるのはよそうと考えることもできた。
しかし、子どもはまだか、まだかという良之の母親の言葉に病院を訪ねたのだった。

「和美さんは体が丈夫で健康だから、高齢出産でも問題ないわよねえ」
二人が結婚を決めて挨拶に行った時の、良之の母の言葉だ。
32歳になっていた和美は、たしかに若い婚約者ではなかった。
それから、「結婚するのは二人だから私は何も言わないけど、
するなら一日でも早いほうがいいんやないの」とも言った。
反対はされなかったが、喜んでもらえたとも思えなかった。
姑になる人への挨拶にソワソワする胸がズキンと痛んだ。
朗らかな声で差し込まれた言葉に、和美は曖昧な笑顔を返すしかなかった。
和美と良之は大学のトレッキングサークル仲間だった。
同回生が男女合わせて11人いて、そのメンバーは、
サークル以外でもよく集まり、それは卒業後も続いた。
卒業して5年が過ぎたころから一人また一人と結婚し、28歳を迎えたとき、
女子で独身は和美だけだった。
少しは取り残された寂しさがあったが、まだそれを口に出して笑えるくらいだった。
集まるメンバーも回数もだんだんと少なくなり、30代になった時には
和美と良之ともう一人が残った。
それでも2、3か月に一度は顔を合せて楽しくやっていた。
和美がほんとうに取り残された寂しさを感じたのは、32歳を目前に、
そのもう一人の結婚話を聞いた時だった。
その友人の結婚式の後、良之からの誘いが3度4度と続いた。
寂しさを感じたのは和美だけではなかったようだ。
トレッキング以外にサザンオールスターズのファンという共通点のある二人は、
サークルの中でも気が合った。
二人きりで会うようになって、それまでと違う感情が生まれた。
友だちから互いの姿を知っている安心感が心地よかった。
付きあい始めのシチュエーションからも、二人の交際は自然と結婚に結びついた。
互いの両親に挨拶に行ったのは付きあい始めて半年を過ぎたころだった。

夕日が海に沈み始め、空の高い所に紫を帯びたブルーが広がってきた。
今日のディナーのために、まだ1度しか袖を通していないワンピースを持ってきている。
ゆっくりと身じたくするのに、そろそろいい時間だ。
部屋に入ると良之がソファに座ってくつろいでいた。
「いつから起きてたの」
時計を見る。和美は30分以上ベランダでぼんやりしていたらしい。
「10分くらい前かなあ」
「お茶かコーヒー、入れようか」
部屋にはポットと、インスタントのコーヒーやお茶が用意してある。
「いや、いいよ。それより晩ごはんに行く用意しいや。時間かかるんやろ」
和美は出かけるしたくに時間がかかる。
普段ほとんどしない化粧をしたり、お洒落をするとなるとなおさらだ。
結婚当時はまだかまだかと急かした良之も、今では慣れた様子で待っている。
何がというわけでなく、ただ、お互いさまだなと和美はおかしくなる。
「なに?」
「なにも」
ポットの湯が熱いのを確かめて、和美は良之にコーヒーをいれてから、
シャワーの用意をする。
せっかくリゾートホテルに来ているのだから、いつもとは違うことをしたいのだ。

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