Hotel's Stories
  十五年目の陽光  
  Chapter.3  
   
  ホテルの1階にあるイタリアンレストランには、予約してあった時間の5分前に入った。
用意してあった席からは、建物の下を流れる運河が、
ガーデンに沿ってハーバーへと向かっていくのが見える。
運河にかかる橋のイルミネーションが水面に落ちてさざめいている。
昼に散歩をした時とは違った幻想的な光景に見とれていると、
華奢なシャンパングラスをもったウエイターが席に近づいてきた。
 
   
  「シャンパンも頼んでくれたの?」
「いや」
当惑している2人のテーブルにシャンパングラスが置かれる。
「ご結婚15年の記念日、おめでとうございます」
良之が何と言おうかと考えているところに、ウエイターがそう言った。
「午後のお散歩の時、チャペルにご案内したものから聞きました。
ホテルからのお祝いの気持ちでございます」
さっきチャペルで鐘の音を聞いた時の感激がまた、和美の胸にこみあげてくる。
ありがとうと礼を言うのがやっとだった。
 
   
  前菜、スープと、口の中にいれたとたん広がる香りに気持ちがますます高揚していく。
さっき身じたくをしながら考えていたもろもろが、
気持ちの高揚に刺激されたかのように、さわさわと心に戻ってくる。
 
  レストラン店内  
   
  胸に刺さる良之の母親の言葉ではあったが、結婚を考え直すほどのことではなかった。
和美は子どものころから、たまに風邪を引く程度の病気知らずで、
その風邪も寝て食べれば治った。
結婚して2、3年のうちには孫の顔を見せられるだろうし、
そうすれば良之の母も何も言わなくなると思っていた。
 
喉から鼻の奥にまで広がり残っているスープの香りを楽しんでいると、
魚介のパスタが運ばれてきた。
近くの漁港で獲れた食材を使っているという。
前菜の野菜も和歌山の有機野菜だったらしい。
海と山と太陽に包まれたこの土地は、おいしいものの宝庫のだったのだと
改めて気づいたことに、二人の会話が弾む。
診察の結果、和美にも良之にも問題はなかった。
「授かりものですからね」と女医は温かく言い、
良之も「そのとおりや」と言った。
和美は不妊治療も考えたが良之が乗り気でなかった。
良之は二男で、もう兄の所に男の子がいるのだし自然に待てばいいと言うのだった。
「おふくろが子どものこと言うのは、たまに顔合わせた時の挨拶みたいなもんや、
気にせえへんかったらええねん」と話は終わった。
大学時代からずっと精神的にイーブンで付きあってきた良之は、
和美をタフだと思っていた。
細かいことを気にしないところが良之の魅力でもあったが、
それは面倒くさいことを嫌がる性格でもあった。
カラッとした性格の母親の根のない言葉を、
タフな和美がうまく受け流してくれればいいと済ませたがっていた 。
ガーデンイルミネーション
パスタにいきわたった魚介のコクと甘みが口の中に広がる。
若いカップルがガーデンのイルミネーションの前で写真をとっている。
恋人どうしだろうか、それとも夫婦だろうか。
仲のいい二人の様子を見ていると、バイオリンの音色が聞こえてきた。
ガーデンからレストランに目を移すと、店の中でバイオリン奏者が生演奏をしている。
食べることとガーデンの夜景と、自分の心の中に気もちをとられていた。
オープンキッチンの上に広がる、青空をモチーフにした天井に、
やわらかなバイオリンの音色がひろがっていく。
食事の後、私たちも記念の写真を撮りに行こうと言ったら良之は嫌がるだろうか。
恋人時代も夫婦になってからも、
友だちどうしのさばさばした雰囲気だった自分たちには、
あんな風に甘いムードはなかったなと和美は思う。
学生時代のイーブンな関係、理解しあえる関係…。
それもまた自然なものであったのか、意識してそうしてきたのだったのか。
15年目の結婚記念日を大切に思うえば思うほど、和美の中に歳月が甦ってくる。
たしかに良之の母親は嫌な姑ではなかった。
自分自身の趣味を持ち、和美と良之の暮らしに干渉してくることはほとんどなかった。
友だちから聞かされる話と比べたら、自分は恵まれていると思ってきた。
和美が姑のことを苦痛に思うのは、子どものことを言われた時だけだ。
「孫は何人おってもええもんらしいけど」
40代になり焦りと諦めの間で、和美の精神がかなりまいっていたころだった。
旅行の土産を持ってきてくれた時、カレーを作ってやると和美と一緒に立つ台所で
そう言った。
思ったことをそのまま口にして尾を引かない義母には、
繊細な長男より、細かなことを気にしない良之の方が合うようだ。
そのぶん良之に孫が欲しく、素直にそれを言葉にしているだけで
悪気はないのだろう。
良之の言うとおり、和美が気にしすぎなのかもしれない。
結婚の挨拶に行った時のあの言葉。
和美と義母との間に最初に置かれたあの言葉が棘のように刺さり、
些細なことに傷が痛みだすのかもしれない。
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