Hotel's Stories
  笑顔の真ん中に  
  Chapte1
 
   
  フランボワーズの最後の一粒をおいてデコレーションを仕上げる。
真っ白なクリームの上で苺とブルーベリー、
フランボワーズの新鮮な色が艶々と光っている。
 
   
  「おたんじょうび おめでとう」と書いた飾りプレートが、
紙ではなくチョコレートなら、店頭のショーケースに並ぶ
他のケーキと違って見えるところは何もない―。
そう思いながら朝田は出来上がったばかりのケーキを専用の冷蔵庫にしまう。
あとはお客さんに手渡すだけ―。
アレルギー対応ケーキは、作ったパティシエがお客さまに手渡す。
それが朝田の決めた『ラ・モーラ』のルールだ。
 
   
  ショートケーキ  
   
  朝田がアレルギー対応ケーキに関心をもったのは三年ほど前のことだ。
地域に根ざすホテルのパティスリーショップとして、
開業以来ずっと町の人たちに可愛がってもらってきた。
地元の人たちに何か役立つことはできないだろうか。
パティシエとしてできることは何だろうかと
考え見つけたテーマがアレルギー対応ケーキだった。
 
   
  ケーキを囲んだテーブルには自然と笑みがひろがる。
パティシエの仕事の喜びは、人の心に楽しさや嬉しさを届けられること。
アレルギー対応ケーキはパティシエとして、ぜひ取り組みたいものだった。
しかし、踏み切れなかった。
心の内に芽生えたその思いを、行動に移すことはできなかった。
 
 
 
アレルギー対応ケーキはリスクの高い商品だ。
安全に神経を使わなくてもいい食品など無い。
が、アレルギーを持つ人も安心して食べられる食品となると、
その神経の使い方は別段だ。
事故の確率がぐんと高くなる。
たとえばコックコートに付着していた小麦粉が、
はらりと落ちて混ざっても大事故につながる。
目には見えない数粒の小麦粉のせいで、誰かが入院することになるかもしれないのだ。
その上…それだけのリスクを負って作ったとして、
それは利益の薄い商品にしかなりえなかった。
食材を厳選し、職人の時間とエネルギーをかけただけの利益は返ってこない。
パティシエとしての理想や情熱は、それでもやってみたいと言っていた。
しかし朝田はホテルのペストリーショップを預かるシェフパティシエだ。
ケーキは朝田の思いを運ぶものであると同時に、利益を得る商品である。
それに何より、食べ物で事故が起こればホテルのイメージが傷つく。
イメージが傷つくことはホテルにとって大きな打撃になる。
問題の突破口は行動の中にある―
それが持論の朝田も、担っている責任を考えると今回ばかりは踏み切れなかった。
ケーキを冷蔵庫にしまうと、朝田は一人きりの厨房でシェフ自ら調理器具を洗う。
この厨房に入れるのは、アレルギー対応ケーキの製造にたずさわる三人のパティシエのみ。
このアレルギー対応ケーキ専用の小さな厨房は『ラ・モーラ』の中のある種の聖域だ。
洗いあげた器具を丁寧に拭き、所定の位置に戻す。<
ここから持ちだされる器具も、ここに持ちこまれる器具もないが、
念には念をいれ、専用器具にはすべて緑色のテープを貼ってある。
神経を払って払い過ぎということはない。
専用器具
一度は棚上げしたものの、どうしても諦めきれないアレルギー対応ケーキへの取り組み。
それを話した時、社長はただ「やってみればいい」と言った。
専用の厨房をつくり、冷蔵庫や器具、コックコートやエプロンなどの
こまごました物まで専用のものを揃えてほしい―すべて朝田の注文を聞いてくれた。
専用厨房に用意されたスペースは、一般製菓用の厨房とは空調ダクトが分離していて、
小麦粉の混入などの可能性を最小に抑えられる。
小さくはあるが望める限りの理想のスペース―。
自分一人の思いがホテル全体の取り組みになった。
思いが現実となった。
その責任の大きさ重さに、朝田は小気味いいプレッシャーを感じた。
向かっていくものができた時、朝田は自分の中に力の漲ってくるのを知っている。
それも向かっていくものが大きければ大きいほど。
朝田はまず一年弱をかけてアレルギーのことを知った。
本を読み、インターネットで情報を集め、人に会いに行き話を聞いた。
知れば知るほど、自分が取り組み始めたテーマの大変さを痛感した。
卵や乳製品はもとの形を見せずに多くの食材のなかに潜んでいる。
小麦粉もそうだ。いろんな食品のつなぎに使われている。
食材からアレルギー要因をシャットアウトするということは、
見えないところまでを見通すということなのだ。
またアレルギー対応ケーキを作るというのは、
安心して使える食材を探し、レシピを考えるということだけではなかった。
事故を防ぐための万全な体制、システムを作らなければならない。
やるとは決めたものの、正直、面倒な道へ踏み込んだと思ったこともある。
仕事をしていく上で朝田がいちばん大切にしているものにネットワークがある。
パティシエに限らず、ものを作り、人に喜びを届けたい思いで
仕事をしている人たちとのネットワーク。
そういう仲間たちとの触れ合いは、視野を広げ、感性を磨き、
インスピレーションを与えてくれる。
アレルギー対応ケーキについても、もちろんネットワークの輪の中に投げかけた。
波紋は耳に心地いいものばかりではなかった。
これは実話に基づいたストーリーです。
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Chapter.2
Chapter.3
Chapter.4
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