Hotel's Stories
  笑顔の真ん中に  
  Chapte3  
   
  お客さまからいただいた笑顔のことを朝田は『ラ・モーラ』のスタッフに伝え、
ホテルのスタッフ皆が読める掲示板に書き込んだ。
この笑顔に出会うことは朝田の漕ぎだした船に一緒に乗ってくれた
皆のモチベーションだった。
朝田と同じ強さで実現を目指してくれた仲間がいたからこの成功があった。
関わる皆の協力がなければ成功しなかっただろう。
お客さまからいただいた喜びは皆で共有するのだ。
 
   
 
『私の息子もアレルギーがありまして。
  去年の彼の誕生日に、朝田料理長にお願いして
バースデー・ケーキを作ってもらいました。
今でも覚えています。
人生二十年近く一回も洋菓子を口にしたことのなかった息子が、
初めてケーキを食べた時の顔を、今でもはっきり覚えています。』
 
   
  お客さまからいただいた喜びの声を皆に伝えた時、
ホテルの総支配人からこんな返信があった。
 
   
 
『そのお客さまのお気持ちは、皆が受け止めている以上に
  ‘感謝’と‘感激’でいっぱいだと、私には想像できます。 安田』
 
   
  自らアレルギー体質の子どもをもつ総支配人からの言葉は説得力があった。
こうして待っていてくれたのなら、自分のオリジナルへのこだわりよりも、
実現のスピードを優先させてよかったと思った。
 
 
 
アレルギーについての知識と理解が自身で納得できるところまで
深まれば、次はレシピ作りの始まりだった。
ケーキの主材料となる小麦粉・バター・乳製品を代替材料にして、
ケーキとして納得のいくものをどう作るか。
ホテルズ・ストーリー イメージ写真
朝田が作りたいのはケーキのようなものではなく、ケーキだ。
代替え材料を使ったからといって、ケーキそのものが代替え品であってはならない。
朝田は独自の試行錯誤を続けながら情報を集めた。
そしてこの分野での先人の存在を知った。
朝田は迷う暇なく電話をかけた。
共通の知り合いを探してみるなどせずに、その当人に直接電話をかけた。
そして三重県までそのパティシエに会いに行った。
「あの朝田さんが会いに来てくれるなんて…」
話を聞きに会いに行った時、山中というそのパティシエは、そう喜んでくれた。
朝田は洋菓子のワールドカップ“クープ・デュ・モンド”での
世界二位をはじめ、色んなコンクールでの受賞歴を持つ。
プロフェッショナルが読む専門誌にもしばしば登場していた。
「朝田さんのように業界誌で紹介されている人が取り組んでくれると、
アレルギー対応ケーキへのムーブメントが生まれるんですよ」

千回近く試作品をつくり、
「これならば」といえるレシピを独自で作った山中は、朝田の来訪を心から喜んでくれた。
一都市に一店舗、アレルギー対応ケーキを提供する洋菓子店を
というのが山中の目標だ。
そのためにオーナーシェフとしてパティスリー『メルヴェイユ』を
一人で切り盛りする山中は加盟店制度を設けて、
自分の作ったレシピやノウハウを提供している。

朝田は山中のケーキを食べて、加盟店になることを決めた。
たしかに一般のケーキと比べればスポンジは重く、クリームは軽い。
しかしこういうタイプのケーキなのだと思えば、十分においしい。
もしあっさりとしたケーキを求めている人なら、こちらを食べたいと言うかもしれない。
そう納得できる品質だった。
理想にこだわれば朝田自身がオリジナルのレシピを考案するべきだろう。
しかし、それは現実的ではなかった。
山中がつくった千回近くの試作品の後ろには、
どれだけの時間とエネルギーがあっただろうか。
いくら社長をはじめ皆の理解と協力を得ているからといって、
アレルギー対応ケーキのレシピ作りにだけ心血を注ぐわけにはいかない。
朝田は本気で取り組む意思表示として求められる加盟料を支払い、加盟店契約をした。
一人でも多くの子どもにケーキを食べてもらいたい。
それがいちばん大切なことなのだから、レシピのオリジナリティにこだわる必要はない―
それが朝田の出したベストの答えだった。

レシピとハードは手に入れた。
アレルギー症状の要因を見極めることができず、
命の危険と隣り合わせのアナフィラキシーだけは非対応にし、
いよいよ『ラ・モーラ』全体での取り組み段階に踏みいった。

朝田はまず、パティスリー部門の全スタッフに研修を受けさせた。
スタッフ全員がアレルギー対応ケーキについて理解することが、安全の基盤だ。
まずここを徹底することができないのなら今までの時間を反古にしてもいい―。
朝田のその考えは皆に浸透し、全員がそれに応えた。
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朝田は厨房でめったに怒ることがない。
自分の仕事を喜んでいる人間が作るから、それを食べた人にも喜びが伝わる。
楽しい気持ちのこもったケーキだから、食べた人も楽しくなる。
だから厨房の空気は、楽しく喜びに満たされたものでなければならない―。
そう信じている朝田はスタッフが
のびのびと笑顔で仕事のできる空気作りを大切にしている。

そして怒る時は徹底的に怒る。
なぜ朝田が怒っているのかを、たとえば昨日入ってきた新人に至るまで、
全員が理解するまで徹底的に怒る。
朝田が怒るのはただ一点、仕事に対する気の抜けについてだ。
たとえば飾りの金箔の位置がずれている、苺のヘタの取り方が粗い、
スポンジをつつむクリームが、きれいに乗っていない…。
それが見た目にはわずかなことであっても、朝田は受けいれない。

自分にとっては千個作っている中の一つかもしれない。
しかしそれを食べるお客さんにとっては、一分の千なのだ。
たった一つの出会いなのだ。
その出会いを台無しにすることは許さなれない。
お客さんに迷惑をかけることはしてはならない。

仕事に対する気の抜けは、その誠意の欠けだ―。
朝田の説くことを、スタッフ皆も分かっている。
しかし、つい。忙しさにかまけて忘れてしまう瞬間がある。
そんな時、朝田は全スタッフの手を止めさせる。
忙しい時に手を止めるなんて困ったと思う、
そういう気持ちがなくなるまで仕事を始めさせない。
どんな時であっても、
仕事に対する誠意、お客さまに対する誠意を忘れてはならない。
仕事に対する誠意と喜びが、お客さんの笑顔に変わる―。

自らのその信条を徹底的に理解させるのと同じように、
アレルギー対応ケーキについても、全スタッフに徹底的に理解させた。
もちろん朝田自身も研修を受け、『ラ・モーラ』の新たな取組み、
アレルギー対応ケーキというものを改めて知りなおした。
分かっているという安心は驕りにも結び付くものだから。
これは実話に基づいたストーリーです。
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