Hotel's Stories
  ひまわりのひと  
  Chapter.3  
   
 

部屋には籠に挿した花束をソファやベッドの回りに数か所と、
バルコニーへの出入り口辺りに置いた。
これは菜実子がインターネットで見たひまわり畑のイメージに近づけるため、
一種類の花で揃えた。
部屋をひまわり畑にしてほしいという芦田の気持ちにこたえ、
形や高さのそろった一色の花が織りなす本物のひまわり畑の美しさを
すこしでも表現したいと思ったのだ。

 
   
 
 

「辻ちゃん、楽しんでるな。その気もちは、お客さまに伝わるよ。
楽しそうにしている人とおったら楽しなるやろ。気もちて伝染するものなんや。
辻ちゃんが楽しいと思てつくった部屋は、きっと楽しい気もちでお客さまを迎えるよ」

 
  フラワーアーティストとの打ち合わせに同席した大崎が、そう言ってくれた。
がんばってるねと褒められるよりも嬉しかった。
それはこのホテルの空気をつくっている先輩たちに近づいていることだった。
 
   
  籠に挿した花束とは別に、ベッドサイドのナイトテーブルや洗面所に
小輪のひまわりのブーケも置くことにした。
ここまで決めると簡単なイメージスケッチを添えたメールを芦田に送った。
思っていたとおり、いえそれ以上です…と喜んでもらえた。
後は日付が変わる前、どうやって内緒で部屋を飾りつけるかだった。
 
   
  チェックインをすませた家族客の十歳くらいの子どもが「わあ、きれい」と声をあげる。
つられて菜実子の視線もその子どもと同じ方を見る。
日が傾きはじめた空のブルーに赤が滲みはじめている。
さっきまでカフェテラスにいた芦田とかほ・・がヨットハーバーの方に向って歩いていく。
 
   
 
ヨットハーバー

芦田はディナーを七時半ごろから二時間くらいかけてゆっくり楽しみたいと言った。
その間に部屋を飾りつけることもできたが、
それでは日付が変わる少し前に驚かせたいという芦田の気もちに応えきれない。
菜実子の相談を受けた大崎が個室温泉を使っていただいてはどうかと
アドバイスをくれた。

菜実子はさっそく、『ディナーの後十一時まで別棟にある個室温泉を

 

使っていただいてはいかがでしょうか』とメールをした。
『和歌山で採った高野槇の浴槽と、マリーナシティ直下から
湧き出る黒潮の恵みの温泉も、当ホテルでのリラクゼーションを
お楽しみいただけるものと存じます』と。

芦田からはすぐに、貸切温泉を予約しますというメールが返ってきた。

遅い時間になるので部屋を花で飾るのは大崎と菜実子の二人の役目だ。
あらかじめアレンジした状態で深く水に浸けてある花を部屋に運び、籠に挿し、
花屋から教えられ練習したとおりカタチを整えなおす。
大崎は自分で花を飾ったことなどないという。
菜実子にしても我流で自分一人のために花を楽しんでいるだけだ。

空の底が赤く染まり始めたヨットハーバーに寄り添いたたずむ
二人のシルエットを見やり、
きっと特別な誕生日なんだろうなと―菜実子はあらためて思う。
そしてその大切な思い出にふわさしいステージをつくりたい―と、
自分が引きうけた仕事の意味を思う。

きっと特別な誕生日なんだろう―と、ディナータイムの準備にかかりながら、
イタリアンレストランのスタッフ吉村郁夫は芦田というお客さまのことを思う。
シェフもマネージャーも淡々と準備をすすめている。

ワイン
リクエストのワインは最適な状態で出せるように支度されている。
ワインに合わせた特別メニューの仕込みも調(ととの)っている。
シェフが用意したレシピには、使う食器や盛り付け方のメモの他、
使っている食材についてのコメントもある。
料理についてのご質問があれば、その場で答えられるよう―
そう、ご質問があれば答える準備だ。
特別なディナーは凝らした細工を隠して、さりげなく進めるように準備されている。
喜びはすべて、部屋いっぱいのひまわりとバースデーケーキに迎えられた時に
とっておこうと、お店からのサプライズは何もしないことに決めた。
 

「さりげない中にも芦田さまとお連れさまに、
素敵なお誕生日を過ごしていただくための心配りは十分にしてください」

マネージャーはシェフのレシピを手に始業前の打合せでそう言った。そして、

 

「もちろんのことですが、さりげなく細やかな心配りはすべてのお客さまに
向けてください。ホテルにいらっしゃるお客さまはどなたも、
特別な時間を過ごしに来られるのだから」と。

マネージャーの言葉に吉村はドキッとした。
『ひまわりのひと』を特別なお客さまにする気もちが、
自分の中のどこかにあったかもしれないと。
何気ない顔で一人片隅の席に座っていらっしゃるお客さまも、
無言でその方の特別な時間を過ごされているのだ。
訪れてくださるお一人ひとりの心次第で、
ドラマチックにもセンチメンタルにもロマンチックにも、
好きにお過ごしいただける空間をつくるために、自分たちはニュートラルにある。
その基本の姿勢を改めて思い出し、ディナータイムのお客さま方を迎えた。

芦田とかほ・・は予約していた時間から少し遅れて現われた。
かほ・・はブルーのフラワープリントが大胆なジョーゼットのワンピースに
装いを変えている。
二重になった袖から伸びる肘先と、大きく刳られたデコルテが透けるように白い。
芦田もさっきまでのポロシャツ姿から、綿のシャツに麻のジャケットに着替えている。
「イタリアンのいい匂い。ケーキを我慢してよかった」
席まで案内する吉村の後ろでかほ・・の声がした。

<つづく>
この物語は実話をもとにしたフィクションです。
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